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紅ショウガが赤すぎる

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『ワールドカップに連れてって -編集後記- in japan 』


 日本サッカーファンのみなさん、こんにちは。
 まずは、ぼくのメッセージがこうしてみんなのもとに届いたことに感謝いたします。ありがとうございます。
  さて先日の、かのサッカー大会をみなさんもご覧いただけたでしょうか?
  ワールドカップ日本代表としてぼくがあそこまで活躍できたのは、みなさんの応援のおかげだと思っています。
そして、ぼくのプレーをきっかけに多くの子供たちがサッカーを好きになってくれたことをうれしく思います。そんな子供たちにぼくが本当に言いたかったことは、決して諦めるな、と言うことなのです。子供の頃からの夢をあきらめなかったからこそ、今の自分がいるのです。
  ぼくは小さい頃父親に連れられ、地元セントルイス球場によく野球を見に行ったものです。そこで見た当時の大スター、ベイ・ブルースに憧れてぼくは野球を始めました。彼のようなスター選手になることを夢見て日夜トレーニングに励んでいたのです。
その成果もあって小学校では4番でエース、中学では4番でエース、そして高校ではなぜか4番でフォワードを守っていました。
  当時17歳。ぼくはたまたま見に行ったイングランド対モハメド・アリ戦で見たアルシンド・ニ・ナチャウョーの神懸かり的な15人抜きゴールを目の当たりし、夢をJリーガーに切り替え、日本に帰化しようと思い立っていたのです。
  しかし当時の日本はまだ外国人に対する差別が激しく、日本へ降り立つやいなや、ぼくのその異なった風貌を見て彼らは冷たい視線を送りました。そしてそれはいつしか、いじめへと発展していったのです。
  ひとりぼっちになってしまったぼくは、ボールだけが友達でした。
  ボールは西ポメラニアン共和国からの留学生で、その境遇がぼくと似ていたことからすぐに仲良くなりました。しかし貧しい国で育った彼はまともな教育を受けてこなかったため片言の日本語しか話せません。それをいいことにぼくは、いじめの対象をボールひとりに向けさせることで自分の身を守ることに成功したのです。
  これが日本でのやり方なのだと理解したのです。ようやく道が開けた気がしました。
 このようにして ぼくたち南葛イレブンの伝説は始まったのです。
 ぼくたちは基礎トレーニングから開始しました。
 リフティングは毎日30回。接客から皿洗いまでこなしました。
 しかし、そんなハードなトレーニングをこなすぼくのもとにある訃報が届いたのです。それは突然の出来事でした。
 その出来事とは、あの成田空港で起こりました。
そこにはワールドカップフランス大会から帰国する日本代表を迎えようと多くのファンが集まっていました。
その中に、大会中一得点もあげることができなかったことへの怒りからか、あの城信二選手に”水をぶちまけ濡らす”という暴挙にでた者がいたのです。その男はすぐに取り押さえられたのですが、その人物こそがジーコ監督、その人だったのです。こうして日本代表入りをはたしたぼくは、2006年ワールドカップに照準を合わせ、微調整を開始したのです。大会のひと月前には、リフティングは50回を越えるまでに成長していました。さらにぼくは、ジーコ監督に媚びを売ることでレギュラーの座を確実のものとしました。日本のやり方を理解したたまものでした。
  さて、その後の活躍は、ぼくが今大会、日本を決勝まで導いたことからもおわかりでしょう。
ただ、ぼくがプレイ中にずっと思っていたことは、「ディフェンスの三都主は日本人離れしているなぁ」と言うことです。そんな想いが伝わったのか、三都主はロスタイム30秒でカリメロのシュートを見事にカバーした時には『コレデミトメテクレルヨネ!ナカマダテミトメテクレルヨネ!』と泣いて喜んでいたのを今でも思い出します。
けれども次の決勝戦でイタリアに敗れた悔しさは忘れられません。
次のワールドカップではイタリアに帰化しようかと思ったくらいです。
  しかし、ご存じの通り、ぼくはこの大会を最後にピッチを去ります。悔いはありません。すべてを出し切ったという想いでいっぱいです。7年間応援してくだすったファンのみなさんフーリガンのみなさんどうもありがとうございました。
 最後に、これからサッカーをはじめる子供たちにひとこと言わせてください。

『紅ショウガが赤すぎる』


だね。だね。


梅雨やだね。

アレ、今日はふつうのこと言うね?

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